目指せスワップ金利で年間20万円(目指せスワップ金利で年間20万円!の理由)
FX取引における目標
1.余裕資金でおこなう
2.レバレッジは3倍程度(証拠金維持率とレバレッジの関係)
3.通常はスワップ金利(インカムゲイン)より為替差益(キャピタルゲイン)を狙う
4.取引FX業者の最低取引単位でポジションをとること
5.ポジションはリアルタイムでとること
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byカトラー:katolerのマーケティング言論: TARO&Zombies(麻生太郎となかよし政界ゾンビたち)現在の高齢者による現役世代からの搾取をストップしなければ日本に未来はありません。今の20代、30代が日本の将来を託せる政治家は国政にいないのが現状。橋下大阪府知事のような人が自分の選挙区から立候補してくれないかなぁ。今のままじゃ結局若者は投票をボイコットし高齢者のためだけの、将来世代にツケを回すだけの法律しか作られないorz
自民党総裁選は麻生太郎の圧勝という結果で幕をとじ、新内閣が発足した。
安倍、福田と続けざまに自民党総理が、政権を投げだすという異常事態から始まったドタバタ劇、そして今回の総裁選レースだったが、そこからは自民党という政党の断末魔が見えてくるようだった。
自民党としては、総裁選を華々しくぶち上げることで、メディアや世間の関心を集め、新総裁、新内閣に対する期待感を追い風にして解散・総選挙に打って出るという作戦だったわけだが、そうした思惑も含め手の内が全部さらけ出されていたために、総裁選自体が全く盛り上がらなかった。メディアも総裁候補者の全国遊説ツアーの模様を一応追いかけてはいたが、麻生太郎の優勢が端から明らかであり、この総裁選自体が総選挙をにらみ、メディアでの露出を上げるために仕込まれた茶番劇に過ぎないとわかっていたので、終盤では批判的な論調に変わった。
流れを変えなかった小泉の小池支持表明
総裁選の中盤で、小泉純一郎が小池百合子への支持を表明したことが唯一流れが変わるか?と期待させたが、小泉は小池支持の理由として、「民主党の小沢一郎に対抗できるのは、小池百合子しかいないから」と述べていた。この指摘は正鵠を射ていたといえるだろう。小泉はこう述べることで小池百合子の政治家としての力量が小沢一郎に比肩するといおうとしたのではない、麻生太郎の対抗馬として絶対不利の立場にあった小池が逆転勝利するようなどんでん返しでも生まれないと、現在の自民党に民主党に勝てるような浮揚力は生まれないと見ていたのだ。いわゆる劇場型の政治手法で「小泉劇場」にメディアや国民の目をひきつけることで人気を保ってきた小泉らしい思考法だ。しかし、安倍辞任後に麻生包囲網をしかれたことに懲りた麻生陣営が、今度は森善朗と組んで早い段階から小池百合子包囲網をしいたために、小泉が小池の支持を明らかにしても、自民党員はもとより、メディアや一般国民も冷ややかな受けとめ方に終始した。
小泉が田中真紀子との二人三脚の全国遊説でブームを巻き起こし、大方の予想を裏切って橋本龍太郎に逆転勝利した時のようなダイナミズムを生み出す活力が自民党の中にはもう存在しないということなのだ。今回の総裁選は、全てが予定調和のもとに進行した茶番劇に終わってしまったといってよいだろう。
小池百合子が獲得した46票という数字は、包囲網がしかれた中では、極めて健闘した数字だと思うが、地方票はゼロだった。このことからも、地方の自民党員の中で、小泉改革に対する風当たりが極めて強いことが窺える。
次の総選挙では、地方票の行方が間違いなく勝敗の分かれ目になるだろう。民主党が勝利した先の参議院選挙で、小沢一郎は、地方に鬱屈する不満をうまくすくい上げ、勝利に繋げたが、同じことを二度はさせまじと自民党も地方票の掘り起こしに懸命だ。地方が疲弊したことを小泉改革のせいといって憚らず、小泉政権をスケープゴートにしてまで地方組織の引き締めにかかっている。小泉改革を反古にして、明らかに昔の自民党に先祖還りしようとしているかのようも見える。
自民党地方集票組織の疲弊、崩壊
しかし、自民党の地方の集票組織はかつてのようには機能しない。公共事業の削減によって、地方の建設企業の多くが廃業・倒産に追い込まれており、自民党から離反しつつあるからだ。もちろん、自民党から鞍替えして民主党に乗り換えれば公共事業が増えるわけではないが、このままではジリ貧のまま果てるだけという思いが「政権交代」を望む声につながっている。
九州で中堅の建設会社を経営する私の知人は、自分も含めた地方ゼネコン業者のことを「ゾンビ」と表現する。公共事業を当てにしている限り、もうとっくに死んでいておかしくないからだ。回ってくる工事受注は、良かった頃の五分の一しかない、社員も半分以下に減らした。
そもそも地方の離反は、自民党のこれまでの場当たり的バラマキ政策のツケが回った結果に他ならない。小渕、森政権の時に、デフレ対策と称して、膨大な公共事業費が投入され、地方の建設業者が急増し、ピーク時には、全国で60万社を超えた。デフレ不況の中で、一般企業が懸命な企業努力を進める中で、地方ではクルマの通らない道路、観客のいない公民館などが際限なく建設され、大きな社会的な批判を浴びた。地方の建設企業はこれによって一時的には潤ったが、こんな芸当がいつまでも続けられるわけがない。小泉改革によって、公共事業のパイプは締まり、地方には仕事が回ってこないゾンビのような建設会社だけが残された。60万社ある地方ゼネコンは、今後、最終的には20万社にまで減じるだろうといわれているが、この整理される40万社の地方建設業の怨念が今、自民党に向かっているのだ。
国交省大臣が公明から自民にシフトしたわけ
ほとんど注目されなかったが、福田改造内閣で、国土交通大臣のポストが、公明党の冬柴鐵三から自民党の谷垣禎一に交替した。
このポストは、第二次小泉改造内閣(2004年)以来、ずっと公明党が占めていたが、それには理由がある。国土交通省の大臣ポストを占めることで、公共事業の地方での割り振りに影響力を行使することができるからだ。実際、地方では、創価学会系の建設企業に一定割合の仕事が回るような現実があり、自民党支持の建設企業の間では不満が高まり爆発寸前だった。
「ただでさえ、公共事業が削減されている中にあって、いつまで公明党・創価学会系企業に甘い汁を吸わせているんだ」という反発が高まり、自民党としても総選挙を意識して、地方組織のてこ入れのために国交大臣のポストから公明党をはずす措置を講じたのだ。逆にいえば、そこまでしなければならないほど自民党の地方組織の足腰は疲弊し痛んでいる。
桝添要一もゾンビ入り?
後期高齢者医療制度の廃止について唐突に桝添厚労省大臣が言い出したのも焦りの表れだ。自民党の支持基盤である高齢者層の反発が強く、なによりもこの制度の導入に当初から反対を唱えていた日本医師会に対して恭順の意を示し、今回の総選挙に協力してもらう必要があった。これまで制度導入の必要性を訴えていた行政トップの大臣が、脈絡もなく突然、宗旨替えをするなど敵前逃亡にも等しい行為だが、そうまでしても、自民党の旧来の支持母体の支援を取り付けたいという意図と焦りがありありと滲み出ている。
余談になるが、2007年に麻生が演説会で米の内外価格差の問題を取り上げ「アルツハイマーの人でもわかる」と発言したことに対して、同じ病気で苦しんだ母親の介護経験を持つ桝添要一厚労省大臣は激しく反発し、「バカなことを言うバカ大臣と一緒にいたくない」と昨年の参議院選の街頭演説で同席を拒否したことがあった。その桝添が、「麻生幹事長も了解している」と前置きして、麻生の露払いよろしく後期高齢者医療制度の廃止に言及し、世間の矢面に立った論功行賞で新内閣でも厚労省大臣のポストで続投することになったのを見ると、今更ながら政治家というものは権力にすり寄って尻尾を振り続ける動物だということに呆れてしまった。桝添は、テレビのコメンテーターなどで顔を売り消費者目線を売り物にしていた政治家だったが、結局ゾンビの仲間入りをしてしまった。
リチャード・クー リバイバルが意味するもの
経済界では、総裁選の最中に米国発のリーマンショックが世界を駆けめぐり、世界経済に暗雲が漂い、何を悠長なことをやっているんだと批判が高まったが、「経済通」を自称する麻生太郎が、景気対策について言い出している。必要、適切な景気対策の実施を否定するつもりはないが、麻生太郎が政策と称しているものの内容は、常に誰かの受け売りに過ぎない。たぶん自分から情報をリークしているのだろうが、リチャード・クーが麻生の経済ブレーンだということが、あちこちのメディアで取り上げられている。
リチャード・クーは、小渕、森内閣時代に行われた地方公共事業のバラマキを理論的に正当化しているエコノミストである。地方の集票マシンであるゾンビ建設業者に昔の夢よもう一度と幻想を抱かせるために、麻生は、自分にはリチャード・クーのような経済ブレーンがついているというメッセージを確信犯的にばらまいている。
リチャード・クーというエコノミストは、日本のバブル崩壊以降のデフレ状況をバランスシート不況という視点で分析したことで有名だが、小渕、森内閣時代のバラマキ公共事業に対して「こうした財政支出があったから金融恐慌が防げた」と手放しで自画自賛しているのには全く呆れ果ててしまう。一言でいえば、リチャード・クーは、死にそこなったゾンビのようなケインジアンであり、「公共事業によって経済の効率が上がったりすると逆に失業が増えてしまうので、穴を掘って、その掘った穴をまた埋めるような無駄な仕事の方が望ましい」というような悪しきケインジアンの見本のようなご託宣をたれるものだから、無駄な道路を未来永劫作り続けたい自民党の道路族などからは、センセー、センセーといまだに重用されている。
資産価格の下落でバランスシートが傷んでしまい、金利ゼロでも企業が資金の借り入れや投資を行わなくなる「バランスシート不況」を10年前の日本は経験した。そうした時に政府が民間に代わって財政支出を行うことは必要だったかもしれないが、問題はその支出がどのように行われたかであり、そこを考えることがそもそも政治というものだ。小渕、森政権のばらまきは、結局、日本の津々浦々まで無駄な道路、ハコモノとゾンビを増やしただけだということを思い起こさなくてはならない。
政権交代という土俵で闘わざるを得ない自民党
各メディアの世論調査で麻生新内閣の支持率が発表されているが、いずれも50%にも達せず福田内閣の成立時を下回る水準で、総裁選を華々しくやることとで人気を底上げしようとした自民党の思惑は完全に空振りに終わった。
麻生vs小沢という対比では、麻生の人気のほうが高いが、自民党がボロ負けした昨年の参議院選でも安倍vs小沢の比較では安倍の方が数段上だった。
攻める民主党の方には「政権交代」という看板がある。民主党が公約として掲げている政策の財源問題などについても、「政権交代」させてくれれば実現して見せると答えておけば良い。民主党の中にもゾンビ政治家は腐るほどいるが、党首の小沢一郎は、この選挙に負けたら政治家をやめると死に場所を明らかにしている。失うものの無い野党の強みであり、一方の自民党は「政権交代」を問うという民主党が用意した土俵に引きずり込まれて総選挙を闘うしかない。
今後、民主党の側でよほどの失態、スキャンダルでもない限り、自民党は勝つことはできないだろう。民主党が地滑り的な勝利をおさめるという可能性さえありうると見ている。民主党が勝ちきれない場合は、一気に政界再編が進む。その場合は、総裁選後に入閣をあえて拒み現政権と距離感を置いた小池百合子の動向が鍵となるだろう。小泉純一郎が引退を表明したことで、自民党内に後ろ盾と居場所のなくなったチルドレンたちがまとまって小池を担いでキャスティングボードを握りにいく(再選されればの話だが・・)可能性が現実味を帯びてくる。
先述した九州の中堅ゼネコンの社長は、一頃は自民党のために選挙運動などに奔走したが、もう、政治とは関わらないことにしたといっている。今、地方で進行している「自民離れ」の実態というのは、案外こういうことを指すのかもしれない。
彼は、一昨年から生き残りをかけて、他の業者と共同で建設廃棄物のリサイクル事業と林業再生に取り組んでいる。事業としてはなかなか儲からないが、公共工事を回してもらうために政治家に尻尾をふってゴルフ接待に明け暮れていた頃に比べると、地域に貢献できる事業の担い手として、仕事に対してはるかに喜びを感じているという。
彼の場合は、リサイクルと林業だったが、農業に転じる建設業者も出てきているようだ。道路やハコモノをつくっていた頃のようには儲からないが、米や野菜を作ればとにかく食っていくことはできる。
自民党のセンセーや役所はもちろん、誰も自分たちのことを面倒見てくれないという現実を受け入れた者から走り始めている。ゾンビから脱出する道は案外身近な所にあった。
(カトラー)
ここまで書いたら、中山国交省大臣が、問題発言を批判されて引責辞任するというニュースが飛び込んできた。大臣就任会見での「成田空港拡張の遅れはゴネ得によるもの」「日教組の強い県は学力が低い」「日本は単一民族の国」という失言3連発でクビが飛んだ。
桝添要一が言うところの「バカなことをいうバカ大臣」を正に絵に描いたようなケースだが、この「バカ大臣」の頭の中は60,70年代で思考停止してしまっている。
自民党文教族のドンと言われる森善朗も首相時代に「神の国発言」で内閣支持率を一桁にまで落としたが、麻生太郎、そして今回の中山成彬に代表される自民党文教族の連中というのが、つまるところ頭の弱いゾンビ集団であることを今回の問題は白日のもとに晒した結果となった。
日教組批判は、この「バカ大臣」の「持論」のようで、辞任の記者会見でも同じ言い草を繰り返していたが、自分の発言が政治的にどのような意味を持つか判断するという政治家として最低限のインテリジェンスさえ持ち合わせていないことを露呈させ、単に「バカ」に「バカ」を上塗りしただけの大バカ会見だった。
民主党にとっては、麻生政権イメージダウンの格好の材料を得た形になった。中山は、日教組に関する発言は撤回しないと大見得を切っているようなので、これは失言で済まされる問題ではない。野党は、中山を国会に召喚して真意を質すべきだ。この際だから言いたいだけ、いわせてやればいいだろう。
ヾ(^-^)ゞBYEBYE
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